~成り立ち~

 

 

そもそも令和5年再燃している問題がありますが、遡るとどういう成り立ちで発足されたのかをまず知らないこと、

1年目以降はそれぞれ職員、事務局員も入れ替わりが激しく私が関わった4年の間に13人ほど入れ替わりがあったと思います。当初のことをきちんと知っており説明できる方がいなかったという問題もあります。なのでこれは想像ですが松田が自分の団体をまちづくりに入れ込んできたと思われていたのかもしれません。なので成り立ちからご覧ください。

 

 

 

①地域コミュニティ課から子育て支援の不足を指摘された中央東まちづくりには、子育て支援をするはずの部会がありましたが、これ以上はやりませんと断られた事が発端です。

そこで当時のK事務局員が押し付けられ事務局管理で試験的にスタートさせました。その時の計画書を3人の子育て中であったK事務員が一生懸命に考えてヒーロー発掘事業・プティ・コパンの会という名前や企画を立てていたのです。

地域の5団体に声をかけて実行委員会を組織しましたが、折り合いがつかず、結果たった一人しか残りませんでした。

はじめての何もわからない状態の事業で、ニーズの高い子育て支援を一生懸命ひとりで考え託児や事前準備、当日の仕切りなどの事務局の負担は大きいものでした。

 

そんな中のちの部会長松田がチラシを見て「私で何かお手伝いできれば・・」と参加となり、K事務局員、残ってくれた子育て支援経験者のたった3人で企画運営していくことになりました。

この1年目はK事務局長も地域事務所の方々もコーディネーターの方もお手伝いというより皆さんが主体的にされていたので、参加者の輪が広がり、託児付きで喜んでくれるお母さんたちの笑顔が支えとなり事業自体は好評を得ていたのです。託児もコーディネーターや副所長、事務局員がしておりあまりにも大変と地域のNPO法人に皆で話を聞きに行き、お願いできることになりました。当時はあくまでお願いされてのお手伝いですし、たいしたことはできていなかったと思いますが市民目線としては地域のママ達を見ていても事務所の方々を見ていてもすごくいいまちづくりだなと感じていました。そんな中、地域協議会委員もジェンダーギャップ指数には問題があるため、女性で若年層ということで最初の事務所所長にお願いされて何もわからないままに公募枠で松田は就任したのでした。結果的にはこれらの事でものすごく学びになりました。中央東の地域協議会は中心部ということもあり、わりかしスマートというか他で聞くまちづくりのいざこざを考えると皆さん優しく接してくれましたし、議員さんも「がんばってるわね子育て支援は大事だからがんばってね」と声をかけていただいたり、行政というものは?まちづくりというものは?経験の中で学ばせてもらいそれらが今の活動に繋がっておりますのでとても感謝しております。

 

 

※ こちらは番外編ですが、当時はパレットもなく宮崎東地区交流センターで講座参加後、ママ達とせっかくだからと交流していたのですが、ママ達がいると高齢者の車が停めれないから迷惑と言われ(これも問題ですね)仕方ないので松田の自宅を解放したりしてなるべくママ達が孤立しないように声かけをしていました。まさか団体にしていくなどと少しも思わずに自分も2歳の子供がいましたから参加者のような感じで交流を深めていました。そのためK事務局員から別団体を作ったら?とアドバイスされていたのですが当時の私はいえいえそんなの無理です。と断っていたくらいです。結局は後に市民活動団体として登録したのでした。

 

 

②そして2年目に実はさりげなくまとめてくれていた、K事務局長が辞めたこと、ミスだらけの新事務局長のせいでK事務局員も新しい地域事務所所長も皆が振り回されどうしたらいいのか頭を悩ませていました。そして今に続く問題に関わる方もこの年からなので1年目の成り立ちの事など一切知らないのです。ここから全てが問題だったのだとある事をきっかけに令和5年10月、今はより成長し個々が活躍している当時のメンバーと話あいをしていて気づいたのでした。トータルすれば約10年です。この6年中央東まちづくりには一切関わっていないのにまさかの出来事でした。

 

※ 私の記憶にある限りでも13人ほどが事務局長、事務局員、所長等入れ替わりが多く、知らないかたにはわからないのでイニシャルを付けております。

 

 

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